フランツ・リスト(Franz Liszt, 1811-1886)/ハンガリー狂詩曲 第2番

作曲 1847年 当初はピアノ独奏曲として作曲された。
その後、リストの弟子ドップラーと共に管弦楽曲に編曲された。
今回はカール・ミュラー=ベルクハウス編曲のものを使用する。
初演 ラースロー・テレキー伯爵に献呈。

フランツ・リストは1811年、当時ハンガリー領だったライディングで生まれた。6歳で彼の父よりピアノの手ほどきを受け、当時からピアニストとしての実力を発揮していた。その後12歳でピアノの技巧を披露するために故郷を離れパリに移った。そこで音楽界を牽引する作曲家(ベルリオーズ、ショパン、パガニーニ)と出会った。この出会いをきっかけに、リストはピアニストとして活躍しながら自身で編曲や作曲を手掛けるようになっていった。リストは生まれた地を離れた後も、自らの祖国をハンガリーであると考えていたため、生涯を通じてハンガリーに関わる作品を残した。

1830年代後半、リストはピアニストとして評価され各地で演奏旅行を行っており、その地の一つにハンガリーがあった。そこでハンガリー国民から歓迎を受けたことや、ロマ(ジプシー)の音楽に再び接したことに心を動かされた。この経験が「ハンガリー狂詩曲」に表現されている。

「ハンガリー狂詩曲」はリストがピアニストとして活躍した後、作曲家として最も活躍した時代(ヴァイマル時代)に作曲した15曲と、晩年に作曲した4曲を合わせた全19曲から構成される。ハンガリーを愛していたリストはこの曲でハンガリー民族の理想を表現したかった。そこでロマ(ジプシー)の音楽がハンガリー音楽だと捉えたリストは、ロマ音楽の持つテンポと強弱の激しい変化や細かい装飾音とリズムを多様に用いることで民族の理想を表現した。その理想とは、彼らの持つ痛みや苦しみ、そしてその痛みを超える自身や民族に対する誇りである。

中でも「第2番」は一番人々から好まれ楽しまれている。アニメーション映画「トムとジェリー」でも用いられており、誰しも一度は聴いたことがあるだろう。この曲は大きく分けてテンポの遅い前半部(Lassan)と情熱的でテンポの速い後半部(Friska)から構成される。

重々しい旋律による8小節の短い序奏(Lento a capriccio 奏者の自由に遅く)に続く前半部(Lassan、Andante mesto 歩くくらいの早さで悲しげに)は荘重な旋律がしばらく続く。装飾音を伴った軽快な音が奏されるがそれもつかの間、曲は再び序奏に戻る。その後クラリネットのカデンツァを挟み、最後は低音の旋律によって静かに終わる。

後半部(Friska、Vivace 活発に)は、前半部にも表れた旋律がきっかけになったのかのように、重々しい雰囲気が徐々に明るさを増していく。せせこましい旋律(譜例1)が低音部に出現するといよいよ華やかになる。

譜例1

すると勢いはそのまま、待ち構えたように歯切れのよい旋律(譜例2)がファゴットとヴィオラ、チェロによって現れる。その旋律は反復されるごとに力を増していき、先程の華やかさはもはや狂乱の形となる。

譜例2

その狂乱ぶりが高まり、先程低音部に出現した旋律(譜例1)が形を変えて演奏されると、この曲は頂点に達する。一度静まるが、低音のほとばしる旋律の波に乗って全体の熱が再び上がる。最後は冒頭のメロディーを絢爛たる形に変えたコーダによって終わる。


楽器編成

ピッコロ 1 ティンパニ
フルート 2 バスドラム
オーボエ 2 シンバル
クラリネット 2 スネアドラム
ファゴット 2 グロッケン
ホルン 4 トライアングル
トランペット 2 ハープ
トロンボーン 3 弦五部

参考文献

  • 浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』新潮社、2013年
  • デイヴィッド・マクリーリ(田中由香・島袋賢介訳、小林英美・田中健次監修)『西洋音楽史Ⅳ ロマン派の音楽』学研出版、2010年
  • 福田弥『作曲家・人と作品シリーズ リスト』音楽之友社、2005年
  • 『最新名曲解説全集15 独奏曲Ⅱ』音楽之友社、1981年

文責:チェロ4年 岡野萌菜